
彼女が冷蔵庫を開けて「今日カレー作ろうよ」って言ったのが始まりだった。
正直に言うと、僕はカレーってルーを溶かすだけの料理だと思ってたんだよね。でも彼女が取り出したのは、見たこともないような小瓶がいくつも入った箱。「スパイスから作るの」って笑顔で言われて、ああこれは長丁場になるなと直感した。クミンとかコリアンダーとか、ターメリックとか。名前は聞いたことあるけど、実物を見るのは初めてで、なんていうか、急に本格的な雰囲気になってきて少し緊張する。
キッチンは確かに広い。二人で並んで作業できるくらいには。引っ越してきたとき、不動産屋が「対面キッチンで開放感がありますよ」とか言ってたやつ。まあ普段は僕一人でカップ麺作るくらいにしか使ってなかったけど。彼女が玉ねぎを刻み始めて、僕はじゃがいもの皮をむく係になった。皮むき器を使ってるのに、なぜか僕の手にかかるとじゃがいもが小さくなっていく。彼女は横目でそれを見ながら「豪快だね」って苦笑いしてた。
玉ねぎを炒める匂いがキッチンに広がってくると、なんだか急に料理してる感じが出てくる。彼女がフライパンを振りながら「きつね色になるまで炒めるのがポイントなんだよ」って教えてくれるんだけど、きつね色ってどの程度なのか正直よくわからない。茶色じゃダメなのか。そういえば去年の夏、友達の家でバーベキューやったとき、僕が焼いた肉が全部真っ黒になって「炭職人」ってあだ名つけられたことを思い出した。火加減って難しい。
スパイスを入れる段階になって、事件が起きた。
彼女が「カイエンペッパー小さじ半分ね」って言ったのに、僕は聞き間違えて小さじ1杯入れちゃったんだよね。彼女の顔が一瞬固まって、「ちょっと待って、今何入れた?」って。鍋の中を覗き込んだ彼女の表情で、やばいって悟った。「まあ、大丈夫でしょ。スパイシーな方が美味しいし」って強がったんだけど、彼女は「スパイシーと激辛は違うから」って真顔で返してくる。そこから彼女はスマホで「カレー 辛すぎた 対処法」とか検索し始めて、僕は申し訳ない気持ちでトマト缶を追加で開けたりしてた。
煮込んでる間、二人でリビングのソファに座ってぼんやりテレビを見てた。キッチンからはぐつぐつとカレーが煮える音と、スパイスの複雑な香りが漂ってくる。市販のルーとは明らかに違う、なんていうか、異国感のある匂い。彼女は僕の肩に頭を預けながら「辛すぎたらごめんね」って言ってきたけど、辛くしたの僕なんですけど。でもそういうこと言わないのが彼女の優しいところで、だから余計に申し訳なくなる。
30分くらい煮込んだあと、彼女が味見をした。スプーンを口に運んで、数秒の沈黙。「…辛い」ってぽつりと言った後、「でも美味しいかも」って付け加えてくれた。僕も恐る恐る味見してみたら、確かに辛い。でも玉ねぎの甘みとトマトの酸味とスパイスの香りが混ざって、これはこれで悪くない。というか、めちゃくちゃ美味しい。「リトルボンベイ」っていう近所のインド料理屋で食べたカレーより全然いいかもしれない。
ご飯をよそって、カレーをかけて、二人で並んでテーブルに座る。最初の一口を食べた瞬間、汗が出てきた。彼女も「うわ、辛っ」って言いながら水を飲んでる。でも箸というかスプーンが止まらない。辛いんだけど、また食べたくなる。不思議なもんだよね、辛さって。痛いのに癖になる。
食べ終わった後、二人とも汗だくになってて、彼女が「次はもうちょっと優しい味にしよう」って笑ってた。
キッチンのシンクには使った鍋やフライパンが積まれてて、洗い物が面倒くさそうだなって思ったけど、それはまた後で考えればいい。今はとりあえず、辛すぎるカレーを二人で完食できたことに満足してる。次作るときはちゃんと計量するよ、多分。

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