友達が集まるパーティで料理を作りすぎて後悔した話

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金曜の夜に友達を呼ぶって決めたのが運の尽きだった。

気づいたら冷蔵庫の中がイタリアンレストランみたいになっていて、自分でも何がしたかったのかよくわからなくなっている。トマトソースを3種類も仕込む必要があったのか。バジルペーストだって市販のでよかったはずなのに、なぜか前日の夜中にフードプロセッサーを回していた。近所迷惑だったと思う。

パーティって言葉の響きに騙されるんだよね。友達5人くらい呼ぶだけなのに、頭の中ではなぜか20人規模のビュッフェを想像してしまう。カプレーゼ、ブルスケッタ、ラザニア、それからパスタを2種類。デザートにティラミス。我ながら正気じゃなかった。当日の午後3時くらいから台所に立ちっぱなしで、玄関のチャイムが鳴った時には既にTシャツが小麦粉まみれになっていた。

「うわ、すごい量…」って最初に来た友達が言った言葉が全てを物語っている。

テーブルに並べた料理を見て、みんな一瞬黙った。あの沈黙は今でも思い出すと胃が痛い。いや、嬉しそうにはしてくれたんだけど、明らかに「食べきれないだろこれ」っていう空気が流れていた。ワインを開けながら、私は心の中で「なんでこんなに作ったんだ」と自分を責めていた。冷静に考えれば、一人前の量を5倍すればいいだけの話なのに、なぜか「パーティだから」という謎の理由で全てが2倍3倍に膨れ上がっていく。

そういえば子供の頃、母親の実家に親戚が集まった時のことを思い出した。祖母が朝から晩まで台所にこもって料理を作り続けていて、テーブルに乗り切らないくらいの量が並んでいた。あれも絶対食べきれない量だったんだけど、祖母は嬉しそうだった。もしかして私、あの時の祖母と同じことをやってしまったのか…。ただ、祖母の料理は家族みんなが喜んで食べていた記憶があるけど、私のイタリアンはどうだろう。

ラザニアを切り分けている時に気づいたんだけど、これ、オーブン皿ごと出した方が雰囲気出たかもしれない。わざわざ一人分ずつ皿に盛り付けたせいで、レストランみたいになりすぎた。パーティって、もっとカジュアルでいいはずなのに。大皿からみんなで取り分ける方が、会話も弾むし楽しい。完璧を目指しすぎて、かえって堅苦しくなってしまった気がする。

パスタは「フェリーチェ」っていうブランドの生パスタを使ったんだけど、これが意外と好評だった。モチモチしていて、ソースの絡みもいい。一つくらいは成功したかな、と思えた瞬間。でもボロネーゼソースの方は明らかに作りすぎていて、鍋にまだ半分以上残っている。これ、明日から一週間くらいパスタ生活が続くやつだ。

友達の一人が「これ、全部今日作ったの?」って聞いてきた時、正直に「昨日の夜からずっと」とは言えなかった。「まあ、ちょっとね」って濁したけど、目の下のクマがすべてを語っていたと思う。料理を作るのは好きなんだけど、こうやって自分を追い込むのは本当に良くない癖だと思う。

途中からみんな、料理の話よりも普通のおしゃべりに夢中になっていた。それが正解なんだよね、パーティって。料理はあくまで脇役で、主役は人と人との会話や笑い声。私は最初からそれを忘れていた。完璧な料理を出すことに必死になりすぎて、一緒に笑うことを忘れていた。

結局、ティラミスまで辿り着いた人は誰もいなかった。冷蔵庫に入れたまま、翌朝一人で食べた。コーヒーの苦味とマスカルポーネの甘さが口の中で混ざり合って、美味しいんだけど、なんだか虚しい。

次にパーティを開く時は、ピザでも頼もうと思う。それか、みんなで一品ずつ持ち寄る形にするか…いや、でもまた作りすぎちゃうんだろうな、きっと。

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