
窓の外に秋の気配が漂い始めた九月の夜、久しぶりに友人たちが我が家に集まった。リビングのテーブルには、真っ赤なスープが湯気を立てるキムチチゲの鍋が置かれ、その周りにチヂミやナムル、サムギョプサルが並んでいる。誰かが持ってきた韓国の焼酎「チャミスル」のボトルが、テーブルの端でひっそりと出番を待っていた。
料理を囲んで集まるというのは、いつの時代も変わらない人間の営みなのかもしれない。それが韓国料理となれば、なおさら賑やかになる。辛さが舌を刺激し、その刺激が会話を弾ませ、笑い声を大きくする。ちょっと辛いくらいがちょうどいい。辛すぎると黙り込んでしまうし、辛くなさすぎると物足りない。今夜の料理は、まさにそのちょうどいい辛さだった。
友人のひとり、大学時代からの付き合いになる美咲が、キムチチゲをお玉ですくいながら「これ、誰が作ったの?」と尋ねた。私が手を挙げると、彼女は少し驚いた顔をした。確かに、以前の私は料理をほとんどしなかった。子どもの頃、母が台所で何かを作っている姿を見ても、手伝おうとは思わなかった。むしろ、出来上がったものを食べることにしか興味がなかった。それが今では、こうして友人たちに料理を振る舞っている。人は変わるものだ。
テーブルの向かい側に座っている拓也が、チヂミを一口食べて「うまい」と短く言った。彼は昔から口数が少ない。でも、その一言には嘘がない。彼がそう言うなら、本当に美味しいのだろう。横で聞いていた香織が「拓也、それだけ?」と笑いながら突っ込むと、彼は少し照れくさそうに肩をすくめた。
ワイワイガヤガヤとした空気が部屋を満たしていく。誰かが笑い、誰かがそれに続いて笑う。話題はあちこちに飛び、仕事の愚痴から、最近見たドラマの話、昔の思い出話まで、脈絡なく展開していく。それでいい。まとまりがなくていい。友人たちとの時間は、きちんと整理された会議ではないのだから。
キムチチゲの辛さが少しずつ効いてきたのか、誰かが「水!」と叫んだ。私が冷蔵庫からペットボトルを取り出して渡すと、彼女は一気に半分ほど飲み干した。その姿を見て、また笑い声が上がる。辛いと分かっていながら、つい食べてしまう。それが韓国料理の魔力なのかもしれない。
香織がふと、スマートフォンを取り出して写真を撮り始めた。料理の写真、テーブル全体の写真、そして私たちの集合写真。彼女は「インスタに載せていい?」と聞いてきたが、もちろん構わない。こういう瞬間は、記録しておく価値がある。いつか振り返ったとき、この夜のことを思い出せるように。
サムギョプサルを焼く担当になった拓也が、フライパンの前で真剣な顔をしている。彼は料理が得意というわけではないが、肉を焼くことには妙なこだわりがあるらしい。「焼きすぎると固くなるから」と言いながら、慎重に肉をひっくり返している。その様子を見ていた美咲が、「拓也、職人みたいだね」と冷やかすと、彼は「うるさい」と小さく返した。でも、その口元は少し笑っていた。
ふと、焼酎のボトルに手を伸ばそうとした私は、うっかりテーブルの端に置いてあったコップに肘をぶつけてしまった。幸い、中身はほとんど入っていなかったので大事には至らなかったが、一瞬ヒヤリとした。「危ない危ない」と自分に言い聞かせながら、もう少し注意深く動こうと心に決めた。
夜が深まるにつれて、会話のトーンも少しずつ変わっていく。最初は表面的な話題が多かったが、次第に本音が混じり始める。仕事のこと、将来のこと、人間関係のこと。辛い料理が心の扉を開くのか、それとも久しぶりに会ったからこそ話せることがあるのか。理由は分からないが、こういう時間は貴重だ。
テーブルの上には、空になった皿と、まだ少し残っている料理が混在している。誰かが「もう食べられない」と言いながら、また箸を伸ばす。その矛盾した行動も、この場の心地よさを物語っている。満腹なのに、まだ食べたい。帰りたくないから、もう少しここにいたい。そんな気持ちが、箸を動かし続けさせるのだろう。
キッチンから漂ってくるごま油の香りと、唐辛子の刺激的な匂いが、部屋全体を包んでいる。この匂いは、明日になっても服や髪に残っているかもしれない。でも、それもまた悪くない。この夜の記憶を、もう少し長く留めておけるから。
友人たちと囲む食卓は、特別なものだ。高級なレストランで食べる料理も美味しいが、こうして誰かの家で、ワイワイガヤガヤと騒ぎながら食べる料理には、別の味わいがある。それは、料理そのものの味だけではなく、一緒に過ごす時間の味でもある。ちょっと辛い韓国料理が、その時間をより鮮やかに彩ってくれた。
窓の外では、秋の夜風が静かに吹いている。でも、この部屋の中は、まだまだ熱い。

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