
週末の午後、少し広めのキッチンに立つと、いつもとは違う特別な空気が流れている。今日は彼女と一緒にカレーライスを作る日だ。ただのカレーではない。スパイスから調合する本格的なカレーに挑戦するのだ。
「クミンとコリアンダー、どっちから炒める?」彼女が小さなスパイス瓶を両手に持って尋ねてくる。その表情には少しの不安と、たくさんのワクワクが混ざっている。二人で作る料理は、いつも小さな冒険のようだ。
キッチンカウンターには色とりどりの野菜が並んでいる。玉ねぎ、トマト、じゃがいも、にんじん。そして今日の主役であるスパイスたち。クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン、シナモンスティック。市販のルーを使えば簡単だが、二人で作るなら特別なものにしたかった。
「まずはクミンから。香りが立ったらコリアンダーを入れるんだって」私がレシピを確認しながら答える。彼女は真剣な顔でフライパンにクミンシードを落とす。じわじわと熱が伝わり、やがてプチプチと弾ける音とともに、エキゾチックな香りがキッチン全体に広がった。
「わあ、すごい香り!」彼女が目を輝かせる。その横顔を見ながら、私はコリアンダーパウダーを手に取る。スパイシーな香りに包まれたキッチンは、まるで異国の市場にいるような錯覚を起こさせる。
次は玉ねぎだ。みじん切りにした玉ねぎを炒める担当は彼女。私はその隣でトマトを切る。少し広いキッチンだからこそ、二人が並んで作業できる。肩が触れ合うくらいの距離で、それぞれの作業に集中する時間が心地いい。
「玉ねぎって、こんなに色が変わるんだね」彼女が感心したように言う。透明だった玉ねぎが徐々に飴色に変化していく様子を、二人で覗き込む。じっくり時間をかけて炒めることで、カレーに深いコクが生まれるのだという。
十五分ほど炒め続けた玉ねぎに、刻んだトマトを加える。ジュワッという音とともに、酸味のある香りが立ち上る。そこへターメリック、チリパウダー、ガラムマサラを加えていく。スパイシーな香りがさらに強くなり、思わず二人で顔を見合わせて笑った。
「これ、絶対美味しくなるよね」彼女の言葉に、私も頷く。まだ完成していないのに、すでに成功を確信している。それは味への自信というより、二人で作っているという事実が、どんな結果でも幸せなものにしてくれると知っているからだ。
じゃがいもとにんじんを加え、水を注ぐ。ここからはコトコト煮込む時間。その間、私たちはキッチンカウンターに並んで座り、お茶を飲みながら他愛ない話をする。窓から差し込む午後の光が、少しずつ傾いていく。
「ねえ、次は何作ろうか」彼女が突然言う。まだ今日のカレーも完成していないのに、もう次の料理のことを考えている。それが彼女らしくて、私は微笑む。
「タイ料理とか?ガパオライスとか」「いいね!でもその前に、このカレーをマスターしないと」
鍋の中では野菜がゆっくりと柔らかくなっていく。時々蓋を開けて確認するたびに、スパイシーな湯気が顔にかかる。少し辛いけれど、その刺激が心地いい。
三十分ほど煮込んだところで、味見をする。スプーンですくったカレーを冷まして、恐る恐る口に運ぶ。「どう?」彼女が心配そうに尋ねる。
「完璧」私が答えると、彼女もすぐに味見をする。その顔がパッと明るくなる瞬間を見逃さない。スパイシーでありながら、野菜の甘みとスパイスの複雑な香りが絶妙に調和している。市販のルーでは決して出せない、深い味わいだ。
ご飯を炊き、カレーを盛り付ける。少し広いキッチンのダイニングテーブルに、二人分のカレーライスが並ぶ。シンプルだけど、私たちにとっては最高のご馳走だ。
「いただきます」二人で声を揃える。最初の一口を食べる瞬間、視線が合う。「美味しい」同時に言って、また笑う。
スパイシーな辛さが口の中に広がり、じんわりと汗が滲む。でもそれが気持ちいい。二人で作ったカレーライスは、想像以上の出来栄えだった。
「また作ろうね」彼女が言う。「今度はもっとスパイシーにしてみる?」私が提案すると、彼女は少し考えてから頷いた。
食後、二人でキッチンを片付ける。使った鍋やフライパン、まな板や包丁。一つ一つ洗いながら、今日の料理を振り返る。失敗しかけた瞬間も、うまくいった瞬間も、すべてが愛おしい思い出になる。
少し広いキッチンには、まだスパイスの香りが漂っている。この香りを嗅ぐたびに、今日のことを思い出すだろう。二人で作ったカレーライスの味も、一緒に過ごした時間も、きっとずっと忘れない。
窓の外はすっかり夕暮れ時。オレンジ色の光がキッチンを優しく照らしている。明日からまた忙しい日々が始まるけれど、こんな週末があるから頑張れる。二人で料理を作る時間が、私たちにとって何よりも大切な時間なのだと、改めて実感する。
「ごちそうさまでした」彼女が満足そうに言う。その笑顔を見て、私も心から思う。今日は本当に幸せな一日だったと。


コメント