窓の外では静かな夜が深まりつつあった。アパートの一室で、私とケンは夕食の支度に取り掛かっていた。付き合い始めて2年が経つ私たちは、週末の夜を一緒に過ごすことが恒例となっていた。今夜は特別な日というわけでもないが、二人で料理を作ることそのものが、かけがえのない時間になっていた。
キッチンに立つケンの横顔を見つめながら、私は玉ねぎをみじん切りにしていく。包丁を握る手に力を込めすぎないよう気をつけながら、均一な大きさを目指す。今夜のメニューは和風ハンバーグ。私たちの得意料理の一つだ。
「あのさ」とケンが声をかける。「この前の休みに実家に帰ったとき、母さんがレシピを教えてくれたんだ。昔よく作ってくれた煮物なんだけど、試してみない?」
私は嬉しくなって頷く。ケンの実家の味を知ることができるなんて、何だかより深く彼の人生に触れられる気がした。玉ねぎを切り終えると、ケンは冷蔵庫から里芋と人参を取り出す。
キッチンには二人分の作業スペースしかないが、それがちょうどいい。肩が触れ合うくらいの距離で、私たちは黙々と料理を進めていく。時折、調理の手順を確認し合ったり、味付けについて相談したりする以外は、静かな時間が流れる。
窓の外では街灯が灯り始め、部屋の中に温かな明かりが差し込んでくる。ハンバーグの具を捏ねながら、私は最近の仕事のことを話し始めた。新しいプロジェクトが始まって忙しいこと、チームメンバーとの関係のこと。ケンは煮物の下準備をしながら、時折相槌を打ちつつ、的確なアドバイスをくれる。
「この前の土曜日、仕事で疲れてた時に作ってくれたカレーライス、すごく美味しかったよ」とケンが言う。「疲れてるのに、わざわざ作ってくれてありがとう」
その言葉に、私は少し照れくさくなる。カレーライスは決して凝った料理ではないけれど、疲れている相手のために作る料理には、特別な想いが込められているものだ。
ハンバーグを焼く音が静かな部屋に響き、煮物からは優しい出汁の香りが漂い始める。この心地よい空間の中で、私たちは自然と会話を続けていく。仕事の話から、休日の予定、将来の夢まで。料理をしながらの会話は、いつも以上に素直な気持ちを引き出してくれる。
「実は来週、大きなプレゼンがあるんだ」とケンが告げる。煮物に火を通しながら、少し緊張した様子で続ける。「すごく重要な案件で、正直なところ、自信がないんだ」
私はハンバーグを皿に盛りながら、「大丈夫よ。あなたならきっとうまくいくわ」と励ます。「プレゼン前日は、私が応援料理を作るから」
ケンは優しく微笑んで、「ありがとう」と言った。二人で作った料理が並んだテーブルを前に、私たちは向かい合って座る。窓の外は完全に夜の帳が下り、街の喧騒も遠く感じられる。
「いただきます」と声を揃える。ハンバーグを一口食べると、ジューシーな肉汁が口の中に広がる。ケンの母親直伝の煮物は、想像以上に優しい味わいだった。野菜の甘みと出汁の旨味が絶妙なバランスを保っている。
「美味しいね」と私が言うと、ケンは嬉しそうに頷いた。「母さんの味に近づけられたかな」
食事をしながら、私たちは今日あった出来事や、最近気になっているニュースについて話す。特別な話題でなくても、二人で過ごす時間は充実している。時々、箸を止めて見つめ合い、笑い合う。
この何気ない幸せが、きっと私たちの関係をより深いものにしているのだと思う。料理を通じて分かち合える想いがあり、一緒に作り上げる喜びがある。たとえ疲れた日でも、二人で食卓を囲むことで、心が温かくなっていく。
食事を終えると、後片付けも二人で行う。私が洗い物をし、ケンが拭き取りと片付けを担当する。シンクに立ちながら、私は今夜の料理の味を思い返していた。ケンの実家の味を知ることができて、何だか特別な気持ちになる。
「次は何を作ろうか」とケンが言う。「この前見た料理番組で、面白そうなレシピがあったんだ」
私は水を止めて振り向き、「新しいチャレンジ、楽しみね」と答える。料理の腕を上げていくことは、私たちの共通の目標でもある。失敗することもあるけれど、それも含めて大切な思い出になっている。
後片付けを終えると、私たちはソファに腰かける。満ち足りた気持ちで、しばらく寄り添っていた。窓の外では月が優しく輝いている。この静かな夜に、二人で作った料理の余韻を味わう。
明日からまた忙しい日々が始まる。でも、こうして二人で過ごす夜があることで、どんな困難も乗り越えられる気がする。料理を作り、食べ、語り合う。そんな当たり前の日常の中に、かけがえのない幸せが詰まっているのだと実感する。
「また来週も、一緒に料理しようね」
私の言葉に、ケンは優しく頷いた。この静かな夜に、私たちの絆はまた一つ深まったように感じる。キッチンからは、まだ煮物の優しい香りが漂っていた。
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